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「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。」
(ヨハネの黙示録3章20節)
3章には、三つの教会に宛てたキリストの手紙が記されています。最後に記されているのが「ラオディキアにある教会にあてた手紙」です。
ラオディキア教会の問題は何だったのでしょうか。主は言われます。「わたしはあなたの行いを知っている。あなたは、冷たくもなく熱くもない。むしろ、冷たいか熱いか、どちらかであってほしい」(15節)。彼らの問題は、信仰の生ぬるさでした。では、なぜ彼らの信仰は生ぬるくなっていたのでしょうか。
ラオディキアは経済的に繁栄していた都市でした。人びとは「わたしは金持ちだ。満ち足りている。何一つ必要な物はない」と言っていました(17節)。豊かさの中で自分を見失い、自分たちの力に依り頼んでいました。それが「生ぬるい信仰」でした。
主は彼らに回心を呼びかけられます。「悔い改めよ」と言われます(19節)。さらに、切実な主の呼びかけが続きます。「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう」(20節)。
生ぬるい信仰の私たちに対して、主は辛抱強く心の戸をたたかれます。私たちが心の戸を開ければ、主との豊かな交わりが開かれるのです。
【祈り】
主よ、心の戸をあなたに向かって開きます。どうぞ、お入りください。
(ヨハネの黙示録3章20節)
3章には、三つの教会に宛てたキリストの手紙が記されています。最後に記されているのが「ラオディキアにある教会にあてた手紙」です。
ラオディキア教会の問題は何だったのでしょうか。主は言われます。「わたしはあなたの行いを知っている。あなたは、冷たくもなく熱くもない。むしろ、冷たいか熱いか、どちらかであってほしい」(15節)。彼らの問題は、信仰の生ぬるさでした。では、なぜ彼らの信仰は生ぬるくなっていたのでしょうか。
ラオディキアは経済的に繁栄していた都市でした。人びとは「わたしは金持ちだ。満ち足りている。何一つ必要な物はない」と言っていました(17節)。豊かさの中で自分を見失い、自分たちの力に依り頼んでいました。それが「生ぬるい信仰」でした。
主は彼らに回心を呼びかけられます。「悔い改めよ」と言われます(19節)。さらに、切実な主の呼びかけが続きます。「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう」(20節)。
生ぬるい信仰の私たちに対して、主は辛抱強く心の戸をたたかれます。私たちが心の戸を開ければ、主との豊かな交わりが開かれるのです。
【祈り】
主よ、心の戸をあなたに向かって開きます。どうぞ、お入りください。